卒業ソングで定番トレンド入りの「3月9日」何の日?歌詞や合唱楽譜も紹介、レミオロメン

話題
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春は出会いと別れの季節。
学生の皆さんは入学や卒業、社会人の方は異動や転職など
人生においてターニングポイントのタイミングが多い季節ですね。
そんな季節に、必ずといっていいほど流れてくる
街の春ムードを彩る音楽がレミオロメンの楽曲「3月9日」。

そもそもなんで「3月9日」なの?
3月9日って特別な日なの?
歌詞の意味は?
今回はそんな超定番の有名曲について焦点を当てて解説していきます。

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3月9日は何の日?

まずは「3月9日」はどういった日なのか
代表的な記念日をまとめてみました。

感謝の日(3月9日 記念日) 

愛媛県の横山重子氏がによって制定されました。
言わずもがな想像できますが
日付「サン(3)キュー(9)」=Thank you
と読む語呂合わせから。

記念日としては「父の日」「母の日」など身内に対する
感謝の日はいくつもあります。

3月9日は人生を重ねていくうえで
いろいろな形で感謝したい人や出来事の出会いや
はたまた一緒に暮らすペット、普段使っているモノなど
広い意味で感謝の気持ちを振り返るという日となっています。

3.9デイ(ありがとうを届ける日)

やはり同様に
3(サン)9(キュー)の語呂合わせで
NPO法人のHAPPY&THANKSが
社会教育の推進や子どもの健全育成などの活動で
よりよい人材育成と社会の発展
などを目的に制定されました。

こちらはより感謝の対象が具体的になっており
教育や人材、社会発展を目的とした比較的新しい記念日となっています。


その他、3月9日は偉人や著名人の生誕・没日に
ちなんだ記念日はちらほら見受けられますが
個人的にはニッチな記念日が多いように思いました。

やはり、サン・キューの語呂合わせのイメージが強く
”感謝”の日というシンプルかつ万能感のある意味なために
他の記念日はあまり普及しないように思います。

レミオロメン『3月9日』の意味

「3月9日」は実は結婚ソングというのは有名な話

バンドメンバー3人の共通の友人・幼馴染が結婚することになり
自分たちで作った音楽をプレゼントしようと思ったのがきっかけです。

 その友達の『ありがとう(サンキュー)のに結婚するんだ』
という言葉がすてきだなあと思い
3月9日』というタイトルが決まったという経緯があります。

3人組ロックバンド「レミオロメン」

バンド名「レミオロメン」の隠された意味

ちなみに「レミオロメン」という名前は、メンバーそれぞれの好きなものから取ったものを合わせた造語となっています。

藤巻さんはイギリス出身のロックバンド、
レディオヘッドが好きなことから「レ」

神宮司さんは当時の彼女の名前と
自分の名前の頭文字をとって「ミオ」

前田さんは路面電車が好きなことから「ロメン」を取り

それらを繋げて「レミオロメン」としました。

このバンド名からも
メンバーそれぞれが平等に意見を出したり
音楽性やチカラを合わせて
仲良く活動をしているであろうことが
予想されますね!

藤巻亮太(ふじまき・りょうた)

1980年生まれ。山梨県笛吹市出身。
2003年にレミオロメンの一員としてメジャーデビューし。
『3月9日』『粉雪』など数々のヒット曲を世に送り出す。
レミオロメン活動休止後の2012年にはソロ活動しています。

2019年4月にはレミオロメン時代の曲を
アコースティック中心のアレンジでセルフカバーしたアルバム
「RYOTA FUJIMAKI Acoustic Recordings 2000-2010」
をリリースしています。

前田啓介(まえだ けいすけ)

ベース・コーラス担当。
専門学校でベースオーディションの知らせを聞きオーディション合格。
スタジオミュージシャンのソロ活動をスタートさせたものの
20歳の頃に藤巻から声をかけられそれまでのキャリアを捨てて
「レミオロメン」の活動を始めます。
その傍ら他アーティストの楽曲参加や楽曲提供を行っている。

バンドの休止から程なくして音楽業界から引退。
現在は農業を営んでおり「笛吹オリーブオイル前田屋」
の代表取締役を務めています。

神宮司治(じんぐうじ おさむ )

ドラム・コーラス担当。看護学校1年目に藤巻・前田に誘われてレミオロメンを結成。看護学校を休学してレミオロメンの活動に専念。

レミオロメンが活動休止してからは自身が企画したライブ”Happy Session”やドラムクリニックを開催。

オリーブオイル好きが高じてオリーブオイルソムリエの資格を取得し
オリーブオイル関連のイベントにも出演しています。

「3月9日」の歌詞、楽譜

元々は結婚ソングとしてリリースされた「3月9日」ですが
世間では卒業ソングとして定着しています。

その理由は歌詞の内容が
卒業というシチュエーションにおいてもマッチするためです。
結婚も卒業も同じく、祝福される新たな門出です。
それによって、今までの人間関係や環境が変化する、
もちろん出会いと別れがある。

そんな共通点、
ポジティブで少し感傷的な印象のこの楽曲は
卒業ソングとして広く人々の心に響くのですね!

また、ミュージックビデオ(MV)の冒頭で
卒業式を終えた描写があることや
後述の「1リットルの涙」というドラマに使われた影響で
小中学校などで歌われる卒業ソング
としても親しまれるようになりました。

レミオロメン「3月9日」の歌詞

流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
せわしく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く

3月の風に想いをのせて
桜のつぼみは春へとつづきます

溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で

新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと

※瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい※

砂ぼこり運ぶ つむじ風
洗濯物に絡まりますが
昼前の空の白い月は
なんだかきれいで 見とれました

上手くはいかぬこともあるけれど
天を仰げば それさえ小さくて

青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに揺れる
花咲くを待つ喜びを
分かち合えるのであれば それは幸せ

この先も 隣で そっと微笑んで

※瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい※

(※くり返し部分)

レミオロメン「3月9日」

<YouTube>『3月9日』楽譜動画

3月9日には「レミオロメン」トレンド入りの常連

ツイッターをはじめSNSでは例年、
バンドの代表曲「3月9日」についての書き込みが相次ぎます。
多くのネットユーザーが「懐かしい」
「今日はレミオロメンを聞こう」などと懐かしんでいます。

ツイッターでは3月9日には「レミオロメン」トレンド入りの常連状態となっており、もはやレミオロメンの日と言っても過言ではないですね。
ちなみに、歌詞の一部である「まぶたの裏」というフレーズまでもトレンドに入った。

ネットユーザーの声たち

「3月9日は名曲」
「今日は帰ったらレミオロメンの3月9日聞こう…」
「今日、レミオロメン聴かないといけない日やん!」
「今日、レミオロメンの『3月9日』を口ずさんでいる人が多いでしょうね。←私もそのひとり」
「中学時代、卒業式で歌った思い出深い楽曲です」
「トレンドのレミオロメンで今日何日だったかを思い出したわ(笑)」「今年もこの曲の季節がやってまいりました」

懐かしむのも無理はありません。
3人組ロックバンド、レミオロメンは2012年から活動を休止しています。
2004年に「3月9日」はシングルとして発表されたものになります。

そして、2005年には
放送された連続ドラマ「1リットルの涙」(フジテレビ系)で
バンドのシングル「粉雪」が主題歌に採用され
中盤から「3月9日」も劇中歌として流れました。

実はこのドラマ「1リットルの涙」の影響が大きく
「粉雪」「3月9日」はロングヒットするようになりました。

このように数十年経ったいまでも
人々の脳裏に浮かぶ名曲となっています。

名曲「3月9日」は女優・堀北真希の代名詞でもある

「3月9日」楽曲のMVには、女優として活躍した堀北真希さんが出演。
デビュー間もない彼女が初々しい芝居を披露しています。

ちなみにMV中の教室の黒板に「3月9日(火)」とあります。
よかったら探してみてください!

そのため「3月9日=堀北真希」と連想する
ネットユーザーも少なくなく
「あっそうか今日は堀北真希ちゃんを見る日か」
「3月9日と言えば堀北真希を思い出す自分」
「あの頃の彼女の活躍とその時代を思い出す」
「あの頃の堀北真希は神ってた」
などのツイートも飛び交います。

人気を博した「堀北真希」も惜しまれながら引退

大ヒットドラマ『1リットルの涙』のおさらい

ストーリー

主人公木藤亜也(演じるのは沢尻エリカ)は
中学3年生で難病に罹ってしまいます。

亜也が中学3年のある日、通学の途中、転んでしまい、下顎を強打。
人が転ぶときには、手が先に出て、顎を打つようなことはあまりないため検査した結果、難病「脊髄小脳変性症」だということが発覚。

しかもその難病は悪くなることはあっても決して良くなることはなく
現在の医療では不治の病。

高校受験を目前に不安と希望を抱えた娘・亜也を看て
母・潮香は
「この子の残された命を充実したものにするのが
自分に出来る唯一のこと」と決意。

亜也は目指した進学校に見事合格。
亜也は先生の勧めで日記を付け始めました。

友人となった沙織と裕子の助けのもと
亜也の高校生活を過ごします。

しかし夏休み、亜也は入院。
同病の患者を目にして、初めて自らの病気を知ります。

高校生活に戻った2学期、友人と二人で歩いている時、
亜也は再び転んでしまいます。
亜也が怪我をしたとの知らせに、飛んできた母・潮香に

その光景を見ていたパン屋のハルが駆けつけ
「仕事で、下校時間に迎えに来られないのなら、
来られるときまで、自分の店で亜也を預かる。」
亜也に「お母さん。私のために仕事、やめないで」
と言われて、潮香はハルの好意を受け入れ、
ハルの店でひとり迎えを待つようになった亜也。

担任の先生より
「本校には、三級障害者に適した設備がない。
他にもっと適した学校があるから…」という話に対し
亜也は涙を流しながら
苦労して入学した進学校を転校を決意します。

「私は東高を去ります…、なあんてかっこいいことが
言えるようになるには、一リットルの涙が必要だった。」

そして、亜也の第一養護学校での寄宿生活が始まります。そこで亜也は大学を目指し勉強に励みます。そんな望みも病気は潰してしまいます。。

亜也は、リハビリにために入院生活を送っていましたが
そのうち声も細り、病魔は着実に進行していきます。

亜也は、電話すら掛けられなくなり
家族との連絡まで、自分からはもう取れなくなります。

そんな中、亜也は研修医・小林に
淡い恋心を抱きますが亜也には叶わぬ夢。

「先生…私…、結婚できる?」
先生は言葉に詰まるが
「出来ないと思う」と答えます。
亜也「先生ありがとう…本当のことを教えてくれて、ありがとう」

「私は何のために生きているのだろう」
と退院し実家に戻った亜也は考えるようになります。

そして亜也は、母・潮香に日記を託します。
それが、私が生きてきた証だとも言うように。。。
母・潮香は、夜を徹して、一気に読みました。
そこには、娘亜也の苦悩と悲しみと
生きている喜びとが書かれていました。
読みながら泣き声を殺し嗚咽する母・潮香の肩に
そっと手を置く父・瑞生。

「おかあさん、まだ生きたい・・・」
病床で見舞う母にそれでも力を振り絞って言います。

木藤亜也、享年25歳。亜也は言います「ありがとう」と、、、

難病「脊髄小脳変性症」とは

主人公木藤亜也(演じるのは沢尻エリカ)の難病とは
徐々に体が動かなくなってゆき
やがて体の全機能が停止してしまう難病
「脊髄小脳変性症」というものです。
悪くなることはあっても決して良くなることはなく
現在の医療では不治の病です。

脊髄小脳変性症は、主に小脳の神経細胞の変性により
「歩行時にふらつく」
「ろれつがまわらず話しづらい」
「不規則に手がふるえ目的の物をつかみづらい」などの
症状をきたす病気の総称です。

原因は様々ですが、遺伝性と非遺伝性(孤発性)に大別され
約7割が遺伝歴のない孤発性で、残りの約3割が遺伝性です。

大人になってから発症する場合は
基本的に、それらの症状は非常にゆっくりと進みます。

日本全国で3万人を超える患者が推定されています。

ドラマの主人公は若かりし「沢尻エリカ」