MCバトルは「格闘技でなく選挙」
MCバトルはいかに激しく”相手を口汚く罵る”かのバトル
というイメージの方も多いと思います。
しかし、それにとどまらずMCバトルには
押韻やフロウ(節回し)の応酬で、いかに観客を沸かせるか、という技巧を凝らした高度なエンターテインメントの側面もたしかにあるのです。
いわば、どちらがより観客を沸かせたかという「選挙」なのです。
他方でMCバトルの難しいところ、それはトラブルの危険性です。
相手を激しく罵るあまり、本当の”バトル”になってしまう現場もあるそうです。
感情が昂り、実際に暴力的な言動をとってしまう、その現場に遭遇する、という危険性があることを肝に命じておかなければいけないのです。
半生記『怒れる頭』でDOTAMAさんは
MCバトルを以下のように綴っています。
MCバトルを「言葉の格闘技」と定義する人もいる。よく分かる。だが自分は「格闘技」というニュアンスより、「選挙」というたとえが実際は正しいと思う
どれだけ多数派の心を掴めるか。アメリカのディベート番組と同じように「どれだけお客さんの支持を集められるか」がカギになってくるのだ
DOTAMAの新たな葛藤、過去の”イメージ”との戦い
バトルMC「フリースタイルダンジョン」の顔としてしっかり定着したDOTAMAさん。バトルMCとしての名声はしかし、諸刃の剣でもありました。
音源制作にも並々ならぬ情熱を傾けているのに、世間からはどうしても「MCバトルのDOTAMA」と見られてしまう。
MCバトルやってる時間の10倍以上、家に引きこもって曲づくりして、レコーディングしているそうですが、やはり楽曲ではなくバトルMCとして認知されてしまうそうです。
いままでに数々の「怒り」をカタチに変えてきたDOTAMAさん。
自分に定着した過去のイメージとの葛藤やフラストレーションもまた
新たな「怒り」を原動力に変えて、今後も活躍してくれることでしょう。
一人のファンとして、私も応援しています!